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靖国神社と恥の文化(番外編)
2024-06-08
納品 靖国神社の社号標と呼ばれる石柱に放尿するような仕草をし、トイレと落書きした様子がSNSで拡散されたそうです。そういうことをすることが恥ずかしいと思わないこと自体が不思議です。文化の違いでしょうか?
 
 もしも日本人が他国で同じようなことをしたら、『日本の恥』と国民は怒り狂うと思います。「親の顔がみたい」「どういう教育をしているのだ」ということになるでしょう。日本では、お金がないことは恥ではないけれど、不敬行為は恥です。『招かざる客』という言葉もあります。
 
 日露戦争勝利後の「水師営の会見」で、乃木希典(まれすけ)大将は「敵将にとって後世まで恥が残る写真を撮らせることは、日本の武士道が許さない。しかし会見の後、我々が既に友人となって同列に並んだところならば、一枚だけ撮影を許可しよう」と言われました。しかも帯剣まで許したのです。

 これは明治天皇が祖国ロシアのために尽くしたステッセル中将らの功績をたたえ、武士の名誉を守るよう伝達されたためでした。また、乃木将軍は、彼らが卑怯なまねをしない、互いに国のために戦い敬意を払い合える存在であると信じたからです。敵にも帯剣させた写真に世界中が驚きました。
 
 また、乃木大将は亡くなるまでステッセル中将のご家族に匿名で仕送りをされたそうです。

 明治天皇からの深い信頼により学習院の院長となった乃木院長は、迪宮裕仁親王(みちのみやひろひとしんのう、後の昭和天皇)をはじめ、皇族・華族の子弟らの教育に尽力されます。  
 
参考:


  新渡戸稲造の『代表的日本人』(岩波文庫)の西郷隆盛編で次のようなくだりがありました。

「正道を歩み、正義のためなら国家と共に倒れる精神がなければ、外国と満足できる交際は期待できない。その強大を恐れ、和平を乞い、みじめにもその意に従うならば、ただちに外国の侮を招く。その結果、友好的な関係は終わりを告げ、最後には外国につかえることになる」


 「とにかく国家の名誉が損なわれるならば、たとえ国家の存在が危うくなろうとも、政府は正義と大義の道にしたがうのが明らかな本務である。戦争という言葉におびえ、安易な平和を買うことのみに汲々するのは、商法支配所*と呼ばれるべきであり、もはや政府と呼ぶべきでない」  

 *注で「商法会所のことか」と記載がありました。現代の株式会社

 イギリス大使ハリー・パークスをはじめ、外国使節は「正しかれ、恐れるな」と言う西郷を尊敬していたそうです。

 日本人だけに武士道精神があるのではありません。最近でいえば、スロバキアのロベルト・フィツォ首相の言動は武士道に通ずると思いました。むしろ日本人の武士道の方が心許なくなっている気がします。(し)

追記:
 神社などに落書きをするというのは神や先人への敬意や尊さを感じないばかりでなく、古いものを大切にしない人の行動でもあります。日本は2600年以上皇統が続いています。新しいものを取り入れる進取の気性(気象)がありながら、古いものも大切にする温故知新の精神が根付いているのです。世界が電気自動車一辺倒になっても、ガソリンやハイブリッド車の技術も大切にし、捨て去らないのが日本らしさであり、日本の文化です。
                       
 
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